こんにちは、空間デザイナーのナカザワフミです。
皆さんは自分の考えや感じたことを言葉にすること、いわゆる『言語化』は得意ですか?
私は苦手です。(即答)
特に瞬発力を要する対面の会話での言語化が苦手で…この苦手な言語化を少しずつでも克服するため、まずは自分のペースで使う言葉の整理ができるブログから始めてみました。…が、やっぱりなかなか筆が進まず不定期更新。気が向いた時にお付き合いいただけたら嬉しいです。
この言語化が重視されている背景には、受け手側に『明確な情報』を『効率よく』『スピーディーに』求める人が多いからでしょうか。
言葉にできると自分の頭の中が整理されてスッキリすることは実感としてあります。
仕事をする上でもクライアントに対して言葉で伝えることが必須であることも理解しています。
ただ、本当に全ての物事を言葉にしなければいけないのか?
そこには少し疑問も感じています。
苦手だからという逃げ腰な理由で言語化を否定しているわけではありません。
周りの様子を見ていると、どこか『言葉にできたものが正義』『言葉にできないものは考えが足りていない、劣っているもの』そんな風に思っている人が意外と多いように感じています。白か黒かでは分けることの出来ないグレーな部分…それを少しでも理解しようと向き合える心の余裕がある人が少ないなぁーと。忙しい人多いですもんね。
上手く言葉にできると意志の疎通もスムーズで便利だということはわかります。
ただ、言葉にもグラデーションがあり、その言葉のもつ意味だけでなく、その時の環境やその言葉を選んだ人との関係性などから様々な解釈を感じることも出来ると思っています。
そういった辞書に載っている言葉の意味だけでは言い表せない、言葉と言葉の余白から流れる空気を感じることもコミュニケーションをする上での楽しみの一つでもあると思います。
そんな余白から流れる空気に触れ、そこから何かを感じ、想いを巡らせることってそんなに要らないことなのかなと…言語化が重視される世の中の流れを見ていると何とも言えない心境に。
そんな余白の空気を感じるチカラは、誰かのフィルターを通して発せられた言葉で得る情報ばかりに浸っていると薄れていくものでもある気がするので、『わかった気になっているだけ』にならないよう、目の前にいてくれる人やモノとのコミュニケーションを大事にし、感覚を磨き続けていきたいなと思っています。
『言語化するチカラ』では解像度を高める力や抽象化力を。
『言葉の余白を感じるチカラ』では想像力や共感力を。
どちらかに偏ることなくバランス良く育てて、その場その場に合わせた心地良いコミュニケーションをし続けられる人でいたいと思う今日この頃です。