こんにちは、空間デザイナーのナカザワフミです。
先日、とある出来事がきっかけで開催された高校のクラスメイトとのオンライン同窓会。
その同窓会の前後にふといろいろと思うこと、考えることがありまして。
なんてことない日々の感情のひとつですが、少し書き留めておこうと思います。
1.別れは突然やってくる
その同窓会開催のきっかけとなった出来事というのは、クラスメイトの1人が病気でこの世から旅立ったということ。
友人関係、同世代での別れはこれが初めての経験で(知らせを受け取れていないこともあるかもしれないけれど…)
寂しいのと、悲しいのと、残念なのと、もっとこうしてれば良かったのかなという後悔と…どんな感情で過ごすのが適切なのか、正直なところ最初の一報を聞いた時から今でもまだ答えがわからないままです。いろいろひっくるめた結果、とても『無』な感情で日々を過ごし、ふとした瞬間に『そっかぁ…』と思い出すようなそんな感じ。
某・夢の国が好きでキャストとしても働いていたことのあるその友人は、元気で明るく食いしん坊で、『ジャジャーン!ウソでした!』と目の前に突然現れもしそうだなと思ってしまうようなその子は、亡くなる数ヶ月前に2人目の我が子を産んだばかりでした。
この世に神様という存在があるのなら、なかなか非情なことをするもんですね。神様不在だからこういうことにしまったのかもしれないけれど。どちらにしてもその人の未来や持っている想いなどは一切関係なく、思っていたよりも呆気なく人は居なくなってしまうものだという現実を知ることになりました。
2.すぐ手を差し伸べることが出来るのか
そんな出来事があり、久しぶりに高校のクラスメイトたちと連絡を取り合うことが増えました。
最後の対面をし、出来る限りのことをやり切った顔をして眠っていたよと教えてくれた友人。
子どもの歳が近く、おさがりのお洋服のやり取りをしていて今回のことを知ったんだよと言っていた友人。
担任やクラスメイトに今回のことを伝えて回ってくれた友人。
火葬場まで出向き、クラスの代表として最後のお別れをして来てくれた友人。
オンライン同窓会を開くために企画や準備などをしてくれた友人。
卒業後も関係が続いていた友人たちがそれぞれに出来ることをしてくれている中、その輪からもう一歩離れたところにいる自分に気が付きました。
こういう時に誰から言われるでも無く動ける友人たちを頼もしく思う一方で、繋がりのある人が困っている時にすぐに何もしてあげられないことって歯痒いなということと、もし手を差し伸べられる距離にいたとしたら、同じような行動が自分は出来たのかなとも考えてみたり。
スケジュールのお知らせも無く突然やって来るそういう日にもスッと動ける自分で在りたいなと、動いてくれている友人たちの頼もしい姿を見ながらそう感じました。その分の気持ちの余裕も持ちながら日常を過ごしていきたいなと。
あと、『代わりにしてくれて…』というのは何だか押し付けがましい気もするけれど、そうやって自分の時間を削って動いてくれた人には『ありがとう』の気持ちをちゃんと伝えられる人でもいたいなと思います。この感謝の気持ちを伝える行為すら何だか気恥ずかしいなと感じていた時代も長く過ごしてきましたが、最近ようやく心からのありがとうをすんなりと言えるようになってきた気がしました。大人になるってこういうことか…?
3.見守られている安心感
オンライン同窓会当日。40人弱いるクラスメイトのうちの27人の友人たちが集まりました。
事情があって同窓会には顔を出せなかったけれど近況だけは伝えてくれた友人もいたし、中には連絡先を誰も知らない友人もいたけれど、高校卒業してすでに20年以上が経ちますが、これだけまだ繋がれるんだなということに驚きながら、当時の面影しかない姿をニマニマ眺める時間。
ゆるくSNSでも繋がっている友人たちから『君の生き方に憧れてる』とも言ってもらい、『…何でだ?私の方が君の生き方に憧れてるわ』と思ったりなどもしましたが、普段から頻繁に連絡を取り合うような間柄ではないけれど、何かしら発信していると見てくれている人はいるんだなと。独りでは無いんだなということを実感しました。
この、付かず離れずぐらいの距離感でいてくれることは、私にとってはとてもありがたいことで。
直接何かをしてくれ過ぎるのも少し恐縮してしまうし、何も見られていないのもそれはそれで寂しいし…面倒な性格だなという自覚はあるけれど、それをわかってくれてなのか、たまにふと連絡をくれたりする関係でいてくれることがとても心地良い。
適切な距離感を保つことってなかなか難しいですが、私も鬱陶しがられない&気持ち悪がられない程度に、周りの人に『見ているよ』のサインを送り続けていきたいなと思います。
4.担任当時の気持ちと今の気持ちと
同窓会には担任の先生も参加。お酒を飲みながらいろいろな気持ちを話してくれました。
初対面の時は私たちは15歳、先生は28歳。先生自身も人生で初めて担任として受け持つクラスでした。
どちらかというと昔のドラマにでも出て来そうな熱血教師寄りの先生で、クラスメイトと一緒にバンドを組んだり、定期的に熱めの言葉をくれたりと、気持ちの強い、そんな感じの先生で。
それぞれに個の力が強く、良くも悪くもマイペースな生徒が多かったので、『こいつらを俺がなんとかしなくては…!』の気持ちが空回りしてたな〜と、『このクラスではもっと1人ひとりの個性が輝くように動けてたら良かった』と、当時のことを振り返って吐露してました。
マイペースでごめんとは思いつつ、私たちのことを考えてくれての行動だったと大人になった今は少しわかる気もするので、もうちょっと先生とも当時から話しておけば良かったなと思ったり(実は私、当時は苦手に思っていた存在でした)
当時は理解しきれない部分はたくさんあったけれど、自分の信念に真っ直ぐに生徒の近くで向き合おうとしてくれた先生だったからこそ、こうやって今でも交流が続いているんだろうと思います。
比べるものでは無いということは傍に置いておいて、『今の生徒は素直な子が多いけれど、昔とは教え方も変えていかなきゃいけなくて試行錯誤している。あの当時は毎日次から次へと何かしらのトラブルがあって大変だったけど、楽しい日々だったよ』と話していました。
『そんなに問題児たちばかりだったっけ?』と、自分たちのことは棚に上げてしれっと聞いてましたが、そんな風に先生の記憶の中にも残るような高校生活を送れてたってことは、それなりに一生懸命に生きられていたってことなのかなと、あれで良かったのかなと、20年越しに答え合わせが出来たような気がしました。
5.話せる人には、話せる時に、話をしておこう
『今度ごはんでも食べに行こうね』の『今度』は来ない場合もあることを実感した今回の出来事。
誰かの日常に食い込んでいくことをおこがましく思って誘えなかったことも多々あるけれど、会いたい人とは会いたい時に、遠慮せず会いに行きたいなと思い、さっそく近場に住んでいる2人を誘って軽くランチをしに行くことに(そういう時だけ行動力がある)
旅立ったあの子のことや、同窓会のこと、今はどんなことをしながら暮らしてるのか、こんなことを悩んでいるなどなど…あっという間に時間が過ぎてしゃべり足りなかったのは当たり前ですが、画面越しでは無く同じ空間を共有しながらのおしゃべりはやっぱり楽しいものですね。
話した内容は何てことないことばかりだけど、久しぶりに顔を見れて、目の前で動いている姿も見れて、とても元気をもらえたような気がしました。
きっかけは少し悲しいことだったけれど、そのおかげで起きたこの一連の出来事や今のクラスメイトたちのこと、旅立ったあの子もどこかでニマニマ見守りながらこっそり参加してくれてるかな?とも思ったり。
一定の距離感でいてくれる存在も有難いものです。
ゆるりと続く関係も心の片隅で感じながら、またこれからの日々も過ごして行こうと思います。