こんにちは、空間デザイナーのナカザワフミです。
今日は友人から借りたポール・ガンビーノさんの著書『死をめぐるコレクション』の感想文です。
アイキャッチにある表紙の写真を見ても判る通り、好みのハッキリ分かれる内容の本なので、興味のある方だけお付き合いください。
1.蒐集家それぞれに扱わないジャンルもあるということ
海外の蒐集家たちが集めた美しくも妖しいコレクション写真の数々と共に、それぞれに蒐集を始めたきっかけやコレクションを通して心に残ったエピソードなどのインタビュー記事がまとめられた一冊です。
『収集』と『蒐集』
どちらも読み方は「しゅうしゅう」、基本的な意味も同じですが、前者の収集は『対象物を集めることが目的』なのに対して、後者の蒐集は『研究や趣味のためにテーマを絞って集めること、コレクション』という意味で使い分けられていることをよく見かけます。
この本に出てくる蒐集家たちのコレクションは、ホルマリン漬けや干し首、骸骨、ミイラ、ガスマスク、死刑囚にまつわるものなどなど…多くの人は『気持ち悪い』と口にするであろうシロモノばかりが並んでおり、一見するとその手のものを見境なく集めているようにも見えますが、インタビューを読んでみると、自分の手元に置くものにはある一定の基準を持っている方も多くいました。
紹介されていた蒐集家の1人、エヴァン・マイケルソンさん曰く、『自分の家は明るく落ち着いた場所にしたいから、中絶した胎児や連続殺人犯アートのような種のエネルギーと自分の空間を共有したくない』など、むやみやたらと集めている訳ではないことに少し共感。私も収集癖があるもんで、剥製や動物の骨などにも興味を持ち所有してたりもするけれど、自分の中で決めていることはあるんですよ。宗教に関するモチーフや人体は何だかちょっとゾワッとするからやめておこうみたいに。
奇妙なコレクションを持った蒐集家たちではあるけれど、そんな人間らしい一面を知ることで途端に親近感がわきます。
2.ポジティブな事柄だけで構成された歴史はないこと
お天道さまの輝く光を浴びながら、どんな時でも明るく元気に一生を過ごしたい気持ちはあるけれど、そんな楽しいことばかりでは無いことは、大なり小なり誰でも経験があることと思います。
本業は本屋のアンティークディーラー、ネイサン・ロバーツさんは『多くの人はネガティブな歴史を埋没させてしまいたがる。それが一般的。でも、好むと好まざるに関わらず、それも文化を織りなす一部なんだから。多くの人がなかったことにしたくても歴史のひとコマなんだから』という想いと共に、罪と罰、特に極刑に注目して蒐集を続けていると紹介されていました。
殺人に使われたナイフや処刑用のフードなど、触れるのも躊躇するような蒐集品の数々。そこに物体として実際に存在している姿を目にすると、そのもの自体も、その背景にあるストーリーも、どちらも無かったことには出来ないなと。
そういった人間の暗い影を感じるモノを自分の手元に置いておきたくなる気持ちには残念ながら共感は出来ないけれど、考古学者や歴史家、博物館のキュレーターのように、歴史を構成するモノのひとかけらとして、次へと繋いでいこうとする情熱がそうさせてるんだろうなとは感じました。
3.『死』を象徴するものを蒐集する意味ってなんだろう?
生き物の死に関わるものに触れ、魅力を感じ、自分の手の届くところに所有したくなる気持ちになるのはどうしてなんだろう?
研究対象だから?
そのものが生きていた証を残したいから?
蒐集家によってもその理由は様々なんでしょうけどね。
私が感じるのは、死を象徴するものに触れることで、誰にでもいつか必ず訪れる死の瞬間への心構えが少し出来るような気がすることなのかなと。
幼い頃からなぜだか祝い事よりもお葬式に参加することも多く、毎年のお墓参りへもキッチリ足を運ぶ環境に育ったからなのか、死という存在は割と身近なもので、私にとっては現在でもそれほど恐怖の対象ではありません。(…な〜んて言ってる人ほど死に際にギャーギャーするもんなのかな?そうだったら我ながら嫌だな笑)
もしかしたらこれを書き終えた次の瞬間かもしれないし、延々と仙人のように生き続けてしまうかもしれないし、先のことはわからないけれど、ちょっと目を背けたくもなるような『死』について妄想にふけるにはちょうど良い1冊でした。掲載されている写真も、どれもこれも美しいですよ。
死をめぐるコレクション 著者:ポール・ガンビーノ