こんにちは、空間デザイナーのナカザワフミです。
2023年も終わりが見えて来たので、毎年恒例の振り返りなどをしてみたいと思います。
こうやって年末に一年を振り返るのも今年でかれこれ4回目なので、けっこう板について来たかなと(何がだろうか)
目次
- 『デザイン』という言葉に対する捉え方の違い
- やってみること+諦めるって選択肢を持っておくこと
- どこまで行っても夢や目標が見つからないこと
- 長く続いているものへの興味と関心
- おせっかいの活かし方
- ほどよい危機感を持つこと
- 『毎日ゲームしてるようなもんだね』と感じるようになったこと
- 先にプライベートの予定を決めたら案外と上手くいったこと
- 今の自分が考えていることを言葉にすること
- ご機嫌で過ごし続けるには努力も必要ということ
- 笑うにも体力がいる
- (ドーラ+フリーレン)÷2
- 限られた時間の中で最大限のパフォーマンスを
- 依頼を辞退しないで済む方法を考えたい
- 『まぁマシかな?』の決断を続けられるように
- 有象無象いるデザイナーの中で選んでもらえる機会を増やすこと
- 直接関わりのある人が大事にしたいと思っていることも大事にしていけたらいいな
- 自分に出来ることを放棄しないこと
『デザイン』という言葉に対する捉え方の違い
『デザイン』という概念と触れ合い始めてから25年ぐらい経ちましたが、それぞれの人の中でこの『デザイン』という言葉の捉え方が違うんだなということにようやく気付くことが出来たように思います(遅い)
【見た目に見える部分の造形の美しさ】をデザインと捉える人もいれば、【誰かの課題を解決する方法】をデザインと捉える人もいたり、【コミュニケーション方法の1つ】がデザインだと捉える人もいます。言葉ではまだ上手く説明出来ないけれど、それ以外にもデザインの捉え方があるような気もしているし、時代の流れによってはその捉え方もいろいろと変化していくんじゃないかなとも感じています。
どれが正解、不正解ということではなく、状況によってその事案に最適なデザインを提供することが、仕事としてデザイナーをし続けるには必要なんだなと改めて感じているので、依頼を請けた時に要件をヒアリングする以外にも、前後の文脈や雑談のような会話、その他の動きとか何やかんやにも、しっかり耳や目を傾けて、いま目の前にいる相手が必要としているデザインがどんなものなのかを引き出した提案をしたいと思っています。
ただ、私自身の考え方としては、見た目を美しく仕立てることはデザイナーとして任せてもらう以上は当たり前のことと感じているので、依頼者さんの持つ課題に対して機能するデザインを提供して、その方のビジネスをより良い方向へと進められる提案がし続けられるようで在りたいなと思っています。
やってみること+諦めるって選択肢を持っておくこと
寝ても覚めても気になることがあるのなら早めにエイッとやってみた方が良いんだろうなと思います。どんなに自分では『準備100点満点だ!』と思って始めても、アレが足りないコレも足りないがほぼ必ず出て来ます不思議と。準備バッチリ!の気持ちで始めた後にイレギュラーが起こるとプチパニックになる確率も高いので、程々の準備状態からスタートし、進めながらちびちび調整していくぐらいの気持ちで始めた方が機嫌良く続けられるんだなぁということを、昨年の今ぐらいの時期からこそりと始めた【道具屋888】の活動で知れたような気がしています。
また、一度始めてしまったことに関しても【諦める】って選択肢は持っておきたいなぁと思っています。負けず嫌いが強く出過ぎると、客観的に見たらもう手遅れなのに引き際を見誤るんですよね。私も往生際が悪いので過去に何度もありました。多分これからもあるんだろうと思います(なかなか学べない)
そのことで悩む時間が増えたのなら、ちょっと距離をおくことも必要なんじゃないかと。おそらく縁があるものはまたその縁が巡ってくるとも感じているけれど、決断に使うパワーもそれなりに必要なので、自分自信で諦められる体力や思考力が残っているうちに行動していけたらと思っています。
どこまで行っても夢や目標が見つからないこと
幼き頃から『将来の夢はなんですか?』と聞かれても、適当に答えていた記憶しかなく、自分自身が納得のいっていることを伝えられた記憶がありません。なんなら今の今でも苦手な質問ですが、そうであることが悪いことじゃないこと、無理して直さなければいけないことでは無いような気も最近してきました。
たぶんですが、夢や目標がなかなか見つからない人は、いま現在目の前に見えていることに全力で取り組めているんじゃないかなと。まだぼんやりとも見えて来ない、訪れるかもわからない未来を見つめる時間もないぐらいに、目の前に見えているやるべきことに真剣に向き合うことの出来ている証拠なんじゃないかなとも思うので、その時間も蔑ろにせず、大切に抱き抱えてあげても良いのかなと感じられるようになってきました。
また、自分自身に夢がない分、周囲の人が叶えたい夢を面白がれること、その誰かの夢から吸収出来ることも多いようにも感じています。そうやってスポンジのように誰かの夢から得られる栄養をお裾分けしてもらいながら、また次の誰かにその栄養をお裾分けしてあげられるようにもなっていけたらと思っています。
長く続いているものへの興味と関心
お店やその土地の文化など、気になるものはいろいろありますが、今現在も長く続いているもの、長く続いてはいたけれど無くなってしまったものなどが気に留まることがよくあります。始めることよりも続けることの方が大変だとも感じているのでその秘訣を知りたくて、長く続いているものをよくよく観察して見ていると【背伸びしていないこと】【穏やかな状態を保つ努力】【柔軟に変化も受け入れられるゆとり】など、共通点も見えて来るような気がしています。
私が年間で数多く関わらせてもらっている展示会というものはその特性上、作っては壊しての繰り返しです。それに何の意味があるのか、無駄なことばかりしてるんじゃないか…と、あまり良い捉え方を出来ずに『いつか辞めてやる!』と思っていたこともありました。ぶっちゃけ今でもちょこちょこそういう気持ちにもなります。
ただ最近は『そうやって作っては壊してをすることが次につながることで、その繰り返しで人もモノも成長していくんだろうな』と思えるようになってきました。短期的な視点だけで見てしまうとただただ勿体ない行為だけど、長期的な視点で見ると、その行為を続けていくことが長く続けるためには必要なことなんだろうなと。そうやって捉え直すことが出来たのは、継続して関係を続けさせてもらえているお取引先や、何年にも渡って私との関係を続けてくれている周囲の知人たちのおかげだと思います。
なので『飽きたなぁーめんどくさいなぁー』と心の中で思うこともちびちびあるけれど笑、もう少し今やらせてもらえている役割を続けられるように工夫していきたいと思っています。
おせっかいの活かし方
基本的に私はおせっかいだよなという自覚があります。周囲のいろんなことが気になるので、余計な仕事を自分で増やしては勝手に疲れるタイプ。会社員などの組織に属している間は上手くこの特性を活かすことが出来ずに苦しい時もありましたが、個人で動ける今のような環境に身を置いてからは、この特性が上手く作用することも増えてきたように感じています。
会社員などの組織に属している時は、立場的に自分の上についてくれている人の指示を仰ぐことが基本の流れになるので、意思決定権が自分にある状況をなかなか持てなかったように思います。私のやり方が上手くなかったのだとも思うけれど、何か上手くいかなかった時の責任を上司に丸投げする(言い方)ことが上手く出来ず、その場にいる全ての人の人生を勝手に背負っていたところもありました。私の実際の立場的にそこまで背負わなくても良いのにそうしてしまっていたのは、誰かの役に立ちたい気持ちを自分の自信のなさが変に拗らせた結果から来るものだったんだろうなぁと今となっては思っています。
その点、個人で動けるようになった今は意思決定権は全て私にあるので、その時やりたいと思ったことを誰に止められることもなくやりたいと思ったその時に出来ること、やりたくないと感じたことにNoと言うことも出来ることが、私の精神安定上とても良かったように感じています。もちろん決めることに付随する責任も背負うことになるけれど、個人の場合は自分1人が腹を括ったり、滑り込み土下座をすれば良いことなので、私にとってはものすごく気が楽です。
個人で仕事を続けていくためには、私の役に立てることが必要になった場面で取引先の方々に思い出してもらえる状況を作るところからなのかなと思うので、勝手におせっかいをし続けていると、誰かに覚えてもらえている確率が少し上がっているようにも感じています。
もちろんその目の前にいる相手にとってプラスになるおせっかいであることが大前提ですが、プラスになるおせっかいなのか、マイナスに作用してしまうおせっかいなのかは相手が決めることなので、何か『こうした方が良いんじゃないか』と感じた時には、躊躇せずに1アクションしてみることに意味があるのかなと思います。
良くも悪くも人に関わらせてもらうことで得してきたことも多いのがこれまでの私でもあるような気がするので、関わらせてもらえる間は、これからもおせっかいさんをしていきたいと思っています。
ほどよい危機感を持つこと
自分が周りのことを見ているってことは、周りからも同じように見られているということだと思っています。どんな環境でも『絶対この場所が安心!この人が安心!』と胸を張って言える場所はこの世には存在しないとも感じています。そのぐらいの気持ちでいた方が、周りにも自分にも甘えすぎず期待しすぎず、お互いにとっての良い距離感を保ち続けられるような気もしているので、サバイバル精神は忘れないようにいたいなと思っています。
『毎日ゲームしてるようなもんだね』と感じるようになったこと
皆さんゲームは好きですか?私は好きです。寝食忘れるぐらいゲームにどハマりしていた時期も長かったですが、でもある時からあまりゲームをしなくなりました。正確に言えば、それだけハマれるほどのゲームが見つからなくなってしまいました。
本や映画では無く、ゲームにばかり興味を持っていた理由はおそらく『一定のルールはあるけれど、自分でコントロール出来る部分も残っているところ』だと思います。本や映画は作者や監督が見たいと思った世界をそのまま受け取った上でどう感じるか…という楽しみ方なんだろうと思ってますが、ゲームだともう少し自分自身の意思も投影していけるところが私にはしっくり来たのだと思います。多少のあまのじゃくさが否めないってことだ。
なので、世にあるゲーム自体が面白くなくなった訳ではなく、『普通の日常もゲームっぽいじゃんね?』と、ある時から感じるようになったことがおそらく原因では無いかと思います。自分のアバターを操作するMMORPGを日々プレイしている気分で、仕事や家事などのミッションをクリアしながら経験値とお金を稼ぎ、街にいるモブや重要人物たちと会話しながら、自分というアバターをより強くしたり、より素敵な衣装や髪型に替えてみたりと、毎日やっていることはほぼゲームと一緒だなと。
…とはいえ、先日久しぶりに知人宅でスーパーファミコン時代のパズルゲームをしたらとても楽しかったので、通常のゲームもまた楽しみたい気持ちはとてもあります。こたつを囲んでゲームする機会があったらぜひお誘いください。
先にプライベートの予定を決めたら案外と上手くいったこと
特に意気込んでそうしてきたわけではないですが、今年の後半ぐらいからプライベートの予定を躊躇なく決められるようになりました。今までは『もしかしたら仕事が入るかも…』と、プライベートの時間を確保することには消極的な人生を歩んできましたが、やってみたら案外とどちらもバランス良く、上手に向き合う時間を得ることが出来たような気がします(たまぁーに読み間違えてヒリヒリした時もありましたが)
どうして出来るようになったのかの理由はまだピンッと来ていないですが、おかげさまで2023年は良く食べ、良く遊びつつ、仕事も滞りなく納めることが出来ました。今年がたまたま上手くいっただけの可能性もあるので、2024年も実験と観察をしていきつつ、上手く出来た理由の部分を探っていけたらと思っています。
今の自分が考えていることを言葉にすること
仕事やプライベートで様々な人と会話やヒアリングをしている中で感じたのは『その人の心が本当に願っていることを、自分の中から外へ淀みなく伝えられる人は少ない』ということです。これは私自身にも言えることですが、数年前から始めたこのブログや日々のメールなどの文章でのやり取りで少しずつ改善していけているようにも感じています
自分の本当の気持ちを外に出す方法については、人それぞれ得意な方法、しっくりするりと出来る方法が違うようにも思います。文字にして目でも見えるようにするのか、会話して耳からも聞こえるようにするのか、はたまた後日も振り返れるようにするのではなく、その場限りで消えてしまうように書くこと or 話すことをするのか、方法はいろいろあると思いますが、1つに絞るのでも複数の方法を横断するのでも、自分自身にフィットする方法を見つけるには、思いつくことは全て試しながら経験してみるしかないのかなとも感じています。
大なり小なり現れる日々の問題に直面した時に、あまり緊張せずに出来る解決策の伝え方が自分の得意と近いのかなとも思います。私の場合は電話しか方法がない時はものすごく緊張するし、億劫で後回しにしがちだし、なるべく短く終わらせたい気持ちが強くて伝え切れていない感覚が強いですが、メールや文章でのやり取りの場合は脳みそや気持ちにあまり負担なく、気付いた時には長文になってることがものすごく多い…ということを最近ようやく知ることが出来ました。
私の言葉を受け取った相手がどういう風に感じているかを気にし過ぎて、伝えることを躊躇していた時期も長かったですが、どう受け取るかはその相手自身の問題で、自分は関与出来ないこと、関与しようとしてはいけないこと、だということを知ることも出来たので、気にせず自分が心地良い方法をし続けて『それが良い』と感じてもらえる人を周りに増やせていけたらと思っています。
これは相手だけのことだけでなく自分自身に対してもそうで、受け取りたくないと心が思っている言葉を使ってくる人がもし近い距離に現れても、反応しないこと、スルーして受け取り拒否することも忘れないようにしていきたいと考えています。
ご機嫌で過ごし続けるには努力も必要ということ
ネガティブな方向へと考えを進めてしまうことの方が私は得意なんじゃないかなと感じるようになってきました。愚痴や文句を垂れ流しながら、どんなことでも誰かや環境のせいにして過ごすことはとても簡単で、私にとっては楽なことなんだろうなと思っています。そうやって自然とやれてしまうネガティブ思考にあらがって、いつでもご機嫌にいられることには努力もまぁまぁ必要ですが、そのことにも少しずつ慣れることが出来て来たかなぁと。
慣れることが出来た理由はおそらく2つ。
1つはどろっどろのネガティブ思考をドン底までし続けた結果、そのことに飽きたんだろうなと。なので何でもやるんだったら真剣に、ドン底までやってみることは悪くないことなんじゃないかなとも感じています。
もう1つは、すぐに反応しないこと、すぐに判断しないこと、すぐ評価しないことをたまに思い出す努力をしていることかなと。すぐ忘れちゃうのでまだ修行が足りないなとは感じていますが、優劣をつけたり、善悪を判断したり、比較したりすることは、よく考えると必要じゃないことの方が多いです。自分の中の当たり前には無い行動が目に留まると、いちいちびっくりしてしまいますが、そこから反射的に怒りや憂鬱も生まれてしまいます。目の前の出来事を落ち着いて受けとめて対応出来るように、深呼吸を忘れないようにしたいなと思っています。
笑うにも体力がいる
前述のようにネガティブがデフォルトの私にとっては、笑っている状態を保つのも体力が必要そうだということがわかってきました。なので、体力を維持するためにも、よく寝てよく食べ、毎日の日課の散歩と最近始めたラジオ体操、週1の整骨院通いぐらいは、ゆるゆると続けていきたいなと思います。
…という感じで2023年の振り返りは以上です。
ここからは2024年はこんな風に過ごしていきたいよも書き留めておこうと思います。
(ドーラ+フリーレン)÷2
突然ですが『天空の城ラピュタ』が昔から好きです。
その中のキャラクターで空賊の親分・ドーラのような生き方が数年前から気になっていました。豪快でお口は悪いわ手も早いわだけれども、情に熱くて優しく、行動力も決断力も優れているところなどもとても素敵で、頼れる親分だなと感じています。また、信頼している人の前だけではポロリと弱音を口にしてみたりと、周囲を頼ることのできる心の余裕もあるような気がしています。
そして最近『葬送のフリーレン』というアニメがお気に入りで、継続して観ています。
その主人公で長い年月を生きるエルフのフリーレンの生き方も気になりました。目の前の相手がもつ能力を見極められること、その場その場で適切な行動を瞬時に取ることが出来ること、師匠の教えを大事に自身の本当の力を抑えて敵を欺きながら目立たずに生きていること、自分の心の中の声を語ることはあまり得意では無さそうだけど、感じているものはたくさんあるんだろうことなど、こちらもドーラ同様、素敵な人だなぁと感じています。
パッと見は正反対そうな2人で、共通点は『2つ結びであること』ぐらいだけど、ドーラとフリーレンを足して2で割ったぐらいの生き方を出来たらなと今は思っています。
…あれ?これが目標か?(ついさっき夢や目標が見つからないと言うたのに)
限られた時間の中で最大限のパフォーマンスを
時間が潤沢にある依頼になかなか巡り合えない自分を呪っていた時期も過去にありましたが、そのおかげだかどうだかで『仕事の速さ』を評価してもらえることが増えて来ました。
私的には自分のタスクをなるべく残さず1日を終えて寝たいことや、依頼者さんの検討の時間を増やしてより良い提案にまとめられるようにしたいことから逆算して必要だと思ったからしていることですが、好意的に受け留めてもらえていることは嬉しいことなので、無理しすぎない範囲の出来る限りのスピード感で今後の依頼も進めていけたらと思っています。
先日、知人の店主さんが『時間があったら出来るのは当たり前で、限られた時間の中で仕上げることが出来るのがプロの仕事』といった内容のことを呟いていたことにもとてもグッと来たので、そう在り続けれるように過ごしていきたいです。
依頼を辞退しないで済む方法を考えたい
有難いことにたくさんご依頼をいただくことが出来た1年でした。直接は面識のなかった方からのご依頼も急に増え、このポートフォリオサイトやSNSも続けていて意味があったんだなとようやく実感できた年でした。ただ、タイミングによってはどうしても都合が付かずに辞退せざるを得なかったことも多々ありました。今でも申し訳ない気持ち。
デザイナーにデザインを依頼することって日常生活には無くても困らないものだと思っています。なので相談すること自体にも勇気がいる場合もあるんじゃないかな?とも感じています。なのでせっかく声をかけてくださったのになぁ…と心苦しくもあったりで。出来れば全部お請けしたい気持ちはあるけれど、だからといって分身して2倍働けるわけでもなくで。そして仮に分身できたとしても私が2人じゃめちゃめちゃ喧嘩するであろう未来も見えているので笑、何か良い解決策がないか、これからも模索していこうと思っています。どこかに落ちてないかな良い方法(他人まかせ)
『まぁマシかな?』の決断を続けられるように
前述のように夢や目標を立てられる機能は備わっていなさそうな人間ですが、今のところは続ける決断をしたことも、辞める決断をしたことにも、悔いが残るような選択はなかったことがこれ幸い。今後も辿って来た道をたまーに振り返った時に『まぁマシかな?』と、過去の自分がしてきた決断に納得し続けられるように行動していきたいです。
有象無象いるデザイナーの中で選んでもらえる機会を増やすこと
私の中で長く続けて来た空間デザインと、個人での活動を始めてからちゃんとやるようになったグラフィックデザイン。この両方を組み合わせながら扱えるデザイナーは、どうやら世の中的にはレアキャラだってことをじわじわと実感して来ました。その時その時で興味のあったことを何となく始めてみて何となくここまで続けて来れたけど、少しずつ世の中でも役に立てるようになって来て良かったなと思います。
それでもやっぱりたくさんいるデザイナーという役割の人々。その中で【目に留まること】もしていかなきゃなぁとも感じています。何かのプロジェクトがどこかで立ち上がったとして、そこに関わる人にまずは思い出してもらえないことにはただの引きこもりなので、そのプロジェクトの選択肢に入れてもらえるような工夫と行動はし続けなきゃなと思っています。
そうなってくると『空間デザイン出来ます!グラフィックデザイン出来ます!』といった表面的な出来ることだけを伝えるだけでは足りていない気もしています。そういったものは道具でしか無いと思うので、それらの手段を使えることは前提として、相手の叶えたい目的の部分まで踏み込んでのコミュニケーションも出来るようにもなっていけたらなぁと。どうしたら良いのかはまだわかりませんが。
根が引きこもりなので多くの人に知ってもらうことはすこぶる苦手だし、日本人特有の隠されたものに美意識を感じてしまう性分もちょこちょこ邪魔をしてきて気付くと引きこもってますが、身近な目の届く範囲、手の届く範囲のところから、選んでもらえる機会を少しずつ拡げていく方法を探っていきたいと思います。
直接関わりのある人が大事にしたいと思っていることも大事にしていけたらいいな
先日仕事の取引先のとある方と打合せをしていた際に、その方のクライアントが大事にしたいと考えている顧客のことにまで触れながら深く検討されてたことが、とても素敵だなと思いました。仕事柄そこまで考える必要があることは承知してますが、納期や自我やその他諸々の制約などに囚われてそこまで考えが及ばないことも多々あることは事実です。でも、今見えているもののその先まで見ようとすることは忘れないようにしたいなぁと改めて思い直せたので、このきっかけを忘れないように活かしていけたらと思っています。
自分に出来ることを放棄しないこと
『誰かがやってくれるだろ』と周りを見渡し待ってることももちろん出来るけれど、自分に出来ること&出来る余裕があるのであれば、誰かを待たずにやってみたいと思います。サボることも時には必要だけど、サボり始めると雪だるま式に何もしなくなるぐうたら体質ですし、サボった分だけ様々な感覚も鈍くなってしまうようにも感じています。何かに向き合った数だけ出来ることも増えていっている実感はあるので、自分に出来る限りのことはこれからもし続けていきたいなぁと考えています。
幼い頃から漠然と『私の人生は40歳まで』という謎の契約を、密かに自分と交わしていました。そんなこともさらりと越える年齢になってしまったことに、様々な意味でグッと来ることもあります。
おそらく当時の自分の見え方や捉え方がまだまだ幼くて、その時周りにいた大人たち全員が人生つまんなそうに生きているように見えていたのだと思います。おじいちゃん、おばあちゃん世代の人との関わりも多くてお葬式に参加する機会も多かったし、一時的に行方不明になる大人や、実際に自らの意志で人生を終える選択をした大人たちも割と身近にいました。その時は冷静に受けとめていたとは思うけれど、内心の子供心的には衝撃的だったんだろうなと振り返ってみるとそう思います。
そうやって刺激の強い部分しか見ることが出来なくて、周りの大人たちに流れる時間の一部にしか触れることが出来ていないのに、それがこの世の全てだと思い込んでいたことは子供の頃の私の脳みその能力上限的に仕方なかったことなんだろうなぁとは思うけれど、そういう苦しいことやツラいことも一時的なことだし、どんな風に受け留めるかは自分の捉え方次第だという気が最近ようやくして来ました。
『私の人生は40歳まで』という謎契約も期間満了したので、ここからはボーナスステージになるのか、これまで以上の地獄を味わうことになるのかはまだわかりませんが、生き物の死亡率100%なことには今のところはあらがえないので、この世にさよならするその日までは目の前に現れたことを面白がり続けられたらと思っています。
2023年もたくさん関わっていただきありがとうございました!
2024年も『しょうがないなぁ〜かまってやるよ』って心優しい方々、どうぞよろしくお願い致します!
それでは良いお年をお迎えくださいませ!