2022▶︎2023

2022▶︎2023

こんにちは、空間デザイナーのナカザワフミです。

年を跨いでの依頼もチラホラある2022年の年の暮れ。スケジュール的には問題ないけれど、やることが残っていると若干ソワつきもしますが、エイヤーと一旦脇に置いて今年の振り返りなどをしてみたいと思います。

後半にかけて何だか周囲も元気になって来た

世の中の状況が変わって数年が経ち、ようやく慣れても来たのか諦めても来たのか、2022年の後半が始まった辺りから『とりあえず動いてみようか』の雰囲気が、私も含めて身近なところでも強くなって来たように感じました。

まだまだ心配なこともあるけれど、そんなことばかり言って待っていても何も変わらない。むしろ現状維持は衰退することとイコールだと言わんばかりの波を感じつつ、あまり振り回され過ぎないようにも気をつけながら、私も置いて行かれないようにと、いろいろ気になることを始めながらヤイヤイしています。

捗る人間観察

普段ほぼ1人で家の中で仕事をしていると、世の中の人の考えていることがわからなくなる不安がふとした瞬間に起こります。そんな気持ちを解消するための方法の1つとして、接客のお手伝いをいくつかし始めてみました。各お店ごとに訪れる人の年齢や属性も異なるので、いろいろな人と関わりを持つことが様々な場面でも活きて来るなぁーと感じています。あと、基本は立ち仕事なので、体を動かせるのが単純に楽しいです。

不特定多数の人と接していると、皆さんそれぞれについ注目してしまう部分が異なることを知れたり、同じものを見ていても受け取り方が全く違うことを知ることが出来てとても勉強になります。自分が会話に入らずとも、耳から聞こえてくる情報だけで妄想が膨らみます。

誰かと会話をすること自体は好きなのですが、調子にのるとお口が悪くなってくるので、粗相をしないよう、それぞれのお店の色を壊さないように気をつけながら、もう少し続けてみようと思っています。どこかのお店でバッタリ出会った時はぜひご挨拶してもらえたら嬉しいです。

何だかいろいろ肩の力が抜けた?

2022年9月の誕生日に晴れて?40歳になりました。人生の半分ぐらいに来たんでしょうかね?そのおかげかどうかわかりませんが、自分に対して程よく諦めがついたようにも感じています。もちろん悪い意味ではなく前向きな意味で。

時間やお金などをかけてどんなに自分が頑張ってもどうにも抗えないこともあるということを体験したこともあってか、自分に期待しすぎないことがポンッと出来るようになり、過去を振り返り過ぎて幾度となく落ち込んだり、まだ起こるかどうかもわからない未来の出来事に過剰に不安になったり心配し過ぎたりすることも減り、どんなことが目の前で起こっても楽しめるようになって来た気がしています。

自分への期待が薄れたのと比例して、周囲へ期待し過ぎることも減って来たように感じます。期待が減ったからと言って見放してるわけではないけれど、そのちょうど良いバランスが保てているからか、伸び伸びと自分らしく活動している人も周りに増えたように感じています。良いこと良いこと。

生きてさえいればどうにでもなるけれど、そこまで長生きすることにも執着は無いので、このままゆとりを持って穏やかに大らかに過ごし続けられるように、自分の気持ちを整えていけたらなと思っています。

『メンヘラ製造機』と『ご祝儀泥棒』と言われたことが腑に落ち過ぎた

ある日、友人と話していた時に私を表す言葉として言われた『メンヘラ製造機』と『ご祝儀泥棒』。もちろんどちらも良い意味で言ってくれていて、聞いた時に『よく見てくれてるなぁー』と、とても感心、納得、笑ってしまいました。

『メンヘラ製造機』たる所以は『誰に対しても偏見を持たずに接しているから』だそう。
『ご祝儀泥棒』は『人の懐に入るのが上手い』といった意味で受け取りました。

あまり自分では気付いていなかったですが、人から言われると確かにそうかもなぁーと新たな発見。一歩間違えれば悪用も出来る特性な気もするので、道を踏み外さないようにだけは気を付けたいと思います。


その他の取るに足らないアレコレもついでにプレイバック。

・もう『おばちゃん』だということを悪用し、ちびっこたちに話しかけられるようになった。
・早起き出来るようになって来た。奇跡。
・その分、徹夜して1回寝て起きた後の疲労が尋常じゃない。
・人間だらけの大都会の歩き方を忘れてしまい、ラッシュ時間の駅構内に恐怖を覚えた。
・相変わらずよく道を聞かれるし、知らない人にもよく話しかけられる。
・自分に対して何かネガティブなことを言われてもあんまり動じなくなった。
・『予約』という概念が年々苦手に。
・生き物だけでなく、物に対しても『この子』と人のように扱うようになってきた。
・カ行やタ行などの角を感じる言葉を控え、ナ行やハ行のような柔らかい言葉を選びがちに。
・メールの文面で『〜してくださいね』と『ね』を付け、やさしさを表現しがちに。
・涙腺がどんどん弱くなって来た。映画でも見知らぬ人の結婚式でも小田和正でもすぐ泣く。
・たくさん食べ過ぎると胃もたれするようになり、大好きな唐揚げが以前ほど食べれない悲しい。
・爬虫類と両生類がとても愛おしい(オオバクチヤモリ2匹とモリアオガエル5匹との共同生活はじめました)
・家事に真剣に向き合えないカラダだから、言い訳できるように仕事続けてるんだなと気付いてしまった。


…2022年の振り返りは以上です。
そしてここからは2023年はこんな風に過ごしていきたいよのコーナーです。

話を聞くことをもっと

2022年は仕事でもプライベートでも、普段より多めにいろいろな人の話を聞いた気がする1年でした。同じものを見ていてもそれぞれに違う解釈があることが面白くて、ついついたくさんの話を聞きたくなります。

ごくごくたまーに『今、人のせいにしましたね。おやおや…』と感じる会話もあるけれど、時にはツッコんでみたり、時にはスルーしてみたりしながら、バランス良くやっていきたいなと思っています。基本的には性善説を信じているけれど、個々人の考え方に対する相性やタイミングもあると思うので、深入りした方が良いと感じたら深入りし、今はその時では無いと感じたら一旦身を引くなどの距離の取り方も見極めながら、話を聞いたり、伝えたいことは伝えてみたりを続けていきたいなと思っています。

『この人とは散々話したのになぁー』と思う人でも、なんだかんだと会話って尽きないんですよね、不思議と。誰の話を聞いてもしっかりと理解し続けられるように、私との会話を楽しい時間だと思ってもらえるように、自分自身の中の情報や考え方のアップデートも忘れないように日々過ごしていきたいと思います。

こそりと始めたことを継続できるように

2022年12月に新しく始めたことが1つあるのですが、今までの仕事や家事などを言い訳に、まだいまいちペースを掴み切れていません笑。続けていたらいろいろ楽しくなりそうな予感はしているし、そこから繋げてやりたいことのメモも溜まる一方なので、継続できるような体制に整えることを頑張ります(気合だけは十分)

全て自分で決められて、自分のタイミングで実行できることなので、そこに甘えてズルズル先延ばしにだけはしないように気をつけたいです。誰かから依頼を請けた仕事だとどうしても効率を優先せざるを得ないことも多いですが、こちらでは非効率でも自分が良いと思ったことは実験していきたいなと思っています。

ひとまずここでは何を始めたかは言いません。巡り巡ってどこかで出会ってもらえたらそれはそれは嬉しいですが、いずれ時が来たらお知らせするかもしれませんね。ふふふ。

誰かや何かの魅力を引き出せることをし続けたい

話を聞くことにも少し繋がってくることですが、人と話をしていたり、誰かの活動しているところを傍らで眺めていると『ここをもう少し改善できたらもっとご機嫌に過ごせそうなのになぁ…』と、なんだか勿体なく感じることも多々ありまして。余計なお節介にもなることなので、伝える相手や伝え方などには気をつけながらですが、私の周囲の手の届く範囲の人には毎日幸せに、何てことない時間も楽しみながら過ごして欲しいので、出来る限り気になったことは伝えていけたらなと思っています。

日々山積みになるやらなきゃいけないことに追われていると、自分が本当に大事にしたいことや叶えたいことが見えなくなってしまう瞬間が私にもあります。その目の前にあるやらなきゃいけないことが果たして本当に自分がやらなきゃいけないことなのか?もっと優先順位が高いものがあるんじゃないのか?自分の気持ちと向き合う癖を付けることって、思った以上にエネルギーを使うことでもあるけれど、そこに目を向けて考える時間を定期的に取らないと、愚痴ばかり言ってしまったり、周囲へもイライラをぶつけるようになってしまったりと、あまり良いことは無いように感じています。

自分の人生の中で自分自身が一番長く付き合わなきゃいけない相棒なので、気持ちのアップダウンを可能な限りフラットな状態に保って、どんなことが起こっても引きずり過ぎずにご機嫌な状態へと戻れるように、人の話を聞くのが趣味の私でも何かお手伝い出来ることもあるのかなと。

なんでこんなことをしたいなと思うのかというと、全ては『勿体ないから』この一言に尽きます。その人にとってはあまりしっくり来ていない考え方に囚われていても良いことは無いと感じるので、頭の中にある悶々としたものを整理整頓したり、悶々を飼い慣らす方法を模索したりといったことを一緒に出来たらなと思っています。

カウンセリングやコーチングなどの専門的な技術を学んだわけではないので出来ることは限られてはいますが、誰かに話すだけで頭の中がスッキリして、少し前へと踏み出せる時もあるんじゃなかなと。自分らしくご機嫌に過ごせてる人が周囲に増えれば、私ももれなくご機嫌に過ごせて一石二鳥なので、機会があればお話しましょう。

費用を貰うものと貰わないものの線引き

自分以外の誰かのためにする行動って、基本的には全て対価を貰っても良いものだと個人的には思っています。win-winの関係を続けるためには、何かしてもらったその技術や時間に対価を支払うのは当然のことで、一番わかりやすい対価がお金なんだろうなと。

…ということを他人に対しては言えるのですが、自分が対価を貰う側になった時はと言うと、頼ってくれたこと自体に嬉しくなって、ついつい『タダで!』と言いたくなる。私がいま仕事にしていることは自分の得意なことだと感じているので、得意が故に効率良く出来てしまい、時間もそんなに掛かっていない(と個人的には思っているが端から見たらゲキ遅だったらどうしよう笑)ので、余計に対価を貰うことを躊躇してしまいます。その気持ちを少しずつ改めていきたいなと。

だけど、最初から最後まで全ての項目に対してキッチリ貰ってしまうのも、私としてはケチンボだなぁーと感じてしまう時があります。どこからを対価をもらう対象とするかにはその人が『どう在りたいか』が色濃く出るように感じるので、お互い相手に合わせ過ぎること無く『頼んで良かった/請けて良かった』と思えるように、自分なりのバランスの良さを見極めていけたらなと思っています。

たまには感謝の意を伝えよう

誰かが身近に居てくれることは当たり前では無いので、仰々しくなり過ぎない程度に、かといって足らんようにはならないように、感謝の気持ちは積極的に伝えていきたいなと思っています。面と向かって言うのは気恥ずかしいのは山々ですが、ちゃんと言葉にして言うべき時は言い、行動で返すべき時はしっかり行動に移して、お礼参り(言い方)していきたいです。


以上、2022年もたくさんたくさんありがとうございました!
関わってくれる人がいるおかげでご機嫌に過ごせてぬるぬるとですが生き続けられています。

2023年も楽しみなことを少しでも増やせるように過ごせたらなと思っています。自薦他薦問いませんので、ご縁があったら一緒に何かしましょうね。

それでは今年一年もありがとうございました!
良いお年をお迎えくださーい!

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