以前、元職場の上司に「あなたが最終日に壊していったパソコンのパスワードが2015××××(月日は忘れた)だったから、たぶん辞めたのその前日」と告げられたので、恐らくそろそろ個人での活動をし始めてから丸10年が経ちそうです。早いものですね。その時に壊したパソコンはちゃんと治り、入れ替わりで入社してくれた人が使ってくれたようです。その節は大変すみませんでした。
これまで上手くいったなぁと思うことよりも、静かに失敗を重ねていることの方が多かったですが、そうだからこそ、様々な環境に身を置いている人、様々な境遇に悩んでいる人たちに近い目線で、一緒に考えて行くことが出来るようになってきた気がしています。だからと言って『ホントにちゃんと相手のために考えてるの?』と、独りよがりにだけはならないように気を付けながら生きても行きたい。
振り返ってみると、誰かの意思決定に従ってその指揮下の元で活動するという選択肢からは離れたからこそ選べること、動けることの方が、私には向いていたんだと思います。ただ向いていること、自分に出来ることを選びながら進んで来ただけだけど、今は毎日それなりに楽しく過ごせているので、このやり方をこれからもしていられるように工夫はし続けて行けたらと思います。
何かをし続けたい人がいてくれないと、私の仕事は成り立たないものなので、おんぶに抱っこにならないように気を付けながら、周囲で活動をし続けている人たちから背中を預けてもらえるような存在でいられたら良いなぁと思っています。
最近は『背中を支える or 背中を押す』って言い回しよりも、この『背中を預ける』って言う方がしっくり来るようになりました。後者の方がお互い同じパワーバランスで立ってる気がして何となく気に入っているのは、完全に葬送のフリーレンの影響をめちゃめちゃ受けているってことはナイショの話。未だにどハマりしていて新刊やアニメの2期が始まるのがとても楽しみです。
手は2本、足も2本、脳みそは1つしか無いのでそんなに多くのことは出来ないし、他に適任者がいる場合は遠慮なくそちらにどうぞをしがちです。それはそれで良かったこともアカンかったこともあったのだろうとは思いますが、概ね健やかに過ごせているので、私にはそういう所作が合っているんじゃないかなとも思ったり(勘違いかもしれないけれど)
前職の会社員生活もちょうど10年で終了してまして。その時と同じ10年という時間を自営業生活で過ごし、あの時とは違って『まだこのままでいるのも良いのかもな』と思えているのは、自分自身が年齢を重ねたこともあるのかもしれないけれど、関わってくれている人たちのおかげも1000%ぐらいであると思っています。ありがとうございますと様々な方角を見つめながら深々とお辞儀。
何かの統計で自営業が10年続く確率は1割ぐらいだと見かけました。そう聞くとまあまあ頑張れてる方なのかなぁと自分を労えるような気がしたけれど、近場を見渡すとだいぶお先に10年越えてる人も、ここから軽やかに10年越えそうな人もゴロゴロ思い浮かぶので、私の周りだけ時空が歪んでる???
そんな歪んだ時空に浸かっていられるおかげで、日々元気に進んでいけているような気もしています。
これからも私に出来る役割を全うし続けられるようにせっせとあれこれしつつ、休む時はきっちりスイッチOFFもしていけるように出来たらなぁ…とは思っています。貧乏性なものでスイッチOFFが苦手なことが今後の課題です。
私の中では、自分自身の誕生日や人生の節目というものにあまり興味を持てたことが無くて、こういう投稿をすること自体も少しう〜んと悩む部分もあるのが正直な気持ちです。たぶんだけど自分の意志を介さずに与えられた物事に関して、感情を動かすということがあんまり得意では無いのかな?どうなんだろう?
でも、そういったハレの日も大切に暮らしている方々のほうが周囲には多いことは感じています。なのでちょっとでも真似ごとをしてみたら何かわかることもあるんだろうかと思った丸10年目の朝。今のところはなんか気恥ずかしいだけだけど、これからも新しい発見があったら良いな。
そんな感じでこれからも出来る限り淡々と進んでいきたい所存です。
それでは11年目もどうぞよろしくお願いします!
2025年5月1日
中澤芙美
